北限の茶どころ、村上へ。400年つづくお茶の話
新潟・村上のお茶づくりは、江戸時代のはじめにまでさかのぼります。
村上茶歴史 提供なし(自主取材)
写真は掲載許可の確認中
はじまりは江戸時代のはじめ
村上でお茶づくりが始まったのは、江戸時代のはじめ、1620年代ごろといわれています。元和6年(1620年)とする資料もあります。
はじまりの話には、諸説あります。
- 村上藩の徳光屋覚左衛門が、伊勢参りのあとに宇治から茶の種を持ち帰った、という話
- 藩主の堀直竒が、江戸の駒込にある藩の屋敷から種を移した、という話
どちらが正しいのか、この記事では決めつけません。ただ、どちらの話も「遠い土地から種が運ばれてきた」ところは同じです。
明治には、海をわたるお茶に
明治の時代には、茶畑は約400ヘクタールまで広がったとされています。つくられた緑茶と紅茶は、ニューヨークやウラジオストクへ輸出されました。
明治18年には、お茶を運び出すために、日本郵船の船が 瀬波に寄るよう手配されたそうです。
「北限」ってどういうこと?
村上は、日本海側で商品としてお茶を育てている、いちばん北の産地です。それで「北限の茶どころ」と呼ばれます。
海に近く、雪が比較的少ない土地です。その雪が、冷たい風から茶の木を守ってくれる、という説明もあります。
これから
この特集では、村上のお茶に関わるお店とお茶を、ひとつずつご紹介していきます。お店の記事には、広告か、提供を受けたか、自主取材かを必ず書きます。
出典・開示
開示区分 提供なし(自主取材)
- 村上市観光協会「北限の村上茶」
- 村上市広報資料「400年目を迎えます」 (市報むらかみ2020年5月1日号)